イギリス留学を決めるまでの道のり

留学

はじめに

医学研究者として、なぜイギリス留学を決意したのか。その道のりは決して一直線ではありませんでした。今振り返ると、学生時代の小さな一歩から始まり、様々な経験と迷いを経て、最終的に研究者としての留学という選択に至った過程が、どこかの誰かの参考になればと思い記してみます。

初めての海外体験:医学部3年生のイギリス留学

私の海外への扉が開かれたのは、医学部3年生の時でした。レスター大学での3週間の医学英語プログラムへの参加が、すべての始まりでした。

このプログラムは今でもあるので、海外留学に興味のある医学生にはおすすめです。

帰国子女でもなく、海外経験も大学1年生の時が初めてだった私にとって、この経験は衝撃的でした。幸い、幼い頃から英語を学ぶ機会があったおかげで、海外への親しみや憧れは持っていました。そして、このイギリス留学で出会ったのが、英国の医療システムとGP(総合診療医)の存在でした。

当時の日本では総合診療科はまだまだマイナーな存在。しかし、イギリスで目にした家庭医療の在り方に強く惹かれ、「海外で家庭医療を学びたい」という思いが芽生えました。

アメリカ臨床留学への挑戦と気づき

USMLEへの挑戦

総合診療への興味から、まずはアメリカでの家庭医療レジデンシーを目指すことにしました。イギリスでの留学はハードルが高い一方で、アメリカには比較的開かれた道があったからです。

  • 医学部6年生:USMLE Step 1・Step 2受験
  • 研修医3年目:Step 2 CS受験
  • 医学部6年生:コロンビア大学で2ヶ月間の臨床実習

特にコロンビア大学での2ヶ月間の経験は、その後の人生に大きな影響を与えました。当初の計画では、初期研修終了後にアメリカのレジデンシーに参加する予定でした。

研修医3年目:再度のアメリカ体験

野口医学研究所のエクスターンシッププログラムを利用し、ハワイ大学で1ヶ月間の研修を行いました。この時、学生時代から医師として大きく成長した自分を実感しました。

研修医3年目の知識と経験により、アメリカのインターンやレジデントよりも医学的知識が豊富な部分もあり、アテンディングと対等にディスカッションできる状態でした。亀田グループで世界標準の医療を学んでいたことで、自分の学んできたことが国際的にも通用することを確認できました。

アメリカ留学への疑問

しかし、この経験を通じて重要な疑問が生じました。「アメリカで臨床研修をしなければ学べないことは何なのか?」

アメリカの医学教育は確かに手厚く、ボトムアップ的な要素が強いものでした。しかし、医師として成長した今、重要なのは日々の診療で疑問を立て、調べ、解決するサイクルを回せることだと感じるようになりました。

また、アメリカと日本では医療制度が大きく異なります。アメリカでは分業が進んでおり、日本では医師が行うことも専門職が担当する場合が多くあります。例えば:

  • 人工呼吸器の設定:専門のテクニシャンが担当
  • 画像診断:放射線科医による詳細なレポート

このようなシステムで研修し、日本に帰国した場合、逆に日本の環境でパフォーマンスを発揮できなくなるのではないかという懸念が生まれました。最終的には日本の医療に貢献したいという思いから、アメリカでの研修の意義を見直す必要性を感じ、日本で家庭医療専門医を取得する道を選択しました。

新たな留学への模索:公衆衛生学への関心

家庭医療専門医取得後、再び留学の可能性を探り始めました。今度は臨床ではなく、キャリアのステップアップとして大学院進学を考えました。具体的には公衆衛生学を学び、Master of Public Health(MPH)の取得を目指していました。

しかし、海外の学費の高さがネックとなっていました。

大学への復帰と新たな選択

そんな中、大学時代にお世話になった先生から連絡をいただき、大学の総合診療科の教育拡充というお仕事をいただきました。悩んだ末、母校の総合診療科を盛り上げることに意義を感じ、大学に戻ることを決断しました。

ちょうど慶應義塾大学にも公衆衛生学の大学院があり、学生時代からお世話になっていた教授から慶應でのMPH取得を勧められました。大学での勤務を続けながらMPHを取得するという選択肢が見えてきました。

振り返ると、私が大学院に入学したのは2020年、コロナパンデミックの始まりでした。しばらく海外渡航が困難だったことを考えると、良い選択だったのかもしれません。

人生の転機:家族との対話

MPHも取得し、留学への具体的なきっかけやチャンスが見えなくなっていました。また、プライベートでも子供が生まれ、妻が出産で中断していたキャリアを再開したこともあり、留学への思いは心のどこかにありながらも、具体的に模索することはしばらくありませんでした。

しかし、ある日妻から「そういえば留学はいつ行くの?」と尋ねられました。正直、もう留学は無理かもしれないと思っていた私にとって、妻がこの話題を持ち出してくれたことは驚きでした。妻も自身のキャリアのこともあり、手放しに賛成というわけではなかったでしょうが、「海外に住んでみたい」という共通の夢を叶えることには応援してくれました。

研究者としての新たな道

この対話をきっかけに、具体的な留学の道を模索するようになりました。MPHも取得し、PhD取得も視野に入れられる段階だったため、今度は研究者として留学する道を考えました。

臨床から研究への軸足移動

初期研修医時代は臨床と研修医教育に注力していました。大学に戻ってからは医学生教育にエフォートを割く一方で、アカデミックGPとして研究者の道を歩み始めました。

研究は非常に面白く、日本から総合診療に関する重要なエビデンスを発信することの重要性を強く感じました。しかし、臨床や教育の合間を縫って研究時間を確保することには苦労しました。大学のポストは比較的時間の使い方に自由度があったとはいえ、限界がありました。

海外研究者との比較で見えた課題

海外で働く日本人研究者や海外の研究者と話をする中で、研究に割ける時間が大きく違うことがよく分かりました。この経験から、「一度は研究に没頭して集中してやりきる時間を作ってみたい」という思いが強くなりました。

そこで、ポスドクの形で研究者として受け入れてもらえる場所を探すことになりました。

まとめ

医学部3年生での初めてのイギリス体験から始まり、アメリカでの臨床留学への挑戦と挫折、家族との対話を経て、最終的に研究者としての留学という選択に至るまで。この道のりは決して計画的ではありませんでしたが、それぞれの経験が次のステップへの糧となっていました。

次回は、具体的にどのようにして留学先を探し、準備を進めていったかについて書いていきたいと思います。

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